明治時代の子どもはどんな暮らし?学校・ランドセル・給食が生まれた時代を今と比べてみた

子供に教えたい

今の小学校にあたりまえにあるもの——教室、時間割、ランドセル、給食

実はこれらの多くは、明治時代に生まれました。江戸時代の寺子屋から、今の学校の形へと大きく変わったのが、この時代です。

この記事では、明治時代の子どもたちがどんな一日を過ごしていたのかを、学校・持ち物・食事・仕事の面から、現代と比べながら紹介します。

親子で「これって明治生まれだったの?」と驚ける話がたくさんあります。

「学制」で、寺子屋が小学校になった

1872年(明治5年)、明治政府は「学制(がくせい)」という法令を出しました。

これは「すべての子どもが学校に通えるようにする」という、日本で初めての近代的な教育制度です。

それまでの学びの中心は、江戸時代からの寺子屋でした。
寺子屋は一人ひとりが自分のペースで学ぶ場所でしたが、学制によって、同じ年齢の子が同じ教室で、同じ内容を、同じ時間に学ぶ——今と同じスタイルの小学校が全国につくられていきました。

でも、最初はなかなか通えなかった

ところが、学校ができてもすぐには広まりませんでした。理由は主に2つです。

  • 授業料が必要だった:当時の小学校は有料で、家計の負担が大きかったのです
  • 子どもは働き手だった:農作業や子守りをしていた子どもが学校に行くと、家の労働力が減ってしまいます

特に女の子の就学率は低く、「女の子に学問は必要ない」という考えも根強く残っていました。

その後、1900年(明治33年)ごろに授業料が原則として無償になったことで就学率は大きく上がり、明治の終わりごろにはほとんどの子どもが小学校に通うようになりました。

今「学校に行くのが当たり前」なのは、この時代の人たちが少しずつ実現してきたことなのです。

ランドセルは明治生まれ

日本の小学生の象徴ともいえるランドセル。この始まりも明治時代です。

もとになったのは、幕末に西洋から伝わった軍隊用の背のう(はいのう=背負うカバン)で、オランダ語の「ランセル」がなまって「ランドセル」になったといわれています。

1885年(明治18年)、学習院が「馬車や人力車での送迎をやめ、自分の荷物は自分で持って通う」という方針から通学カバンとして採用しました。

そして1887年(明治20年)、当時皇太子だった大正天皇の学習院入学のお祝いに献上されたものが、今の箱型ランドセルの原型とされています。

当初は一部の裕福な家庭のものでしたが、時代とともに全国へ広がりました。

「両手が空いて安全」「背中で背負うので姿勢がよい」という発想は、140年近くたった今も変わっていません。

学校給食も、明治時代に始まった

今では全国の小学校にある給食。その起源は1889年(明治22年)、山形県鶴岡町(現在の鶴岡市)の私立忠愛小学校とされています。

始まりは、お弁当を持ってこられない貧しい家庭の子どもたちに、お坊さんたちが無償で食事を出したことでした。

当時のメニューは、おにぎり・焼き魚・漬物といった簡素なものだったと伝えられています。

「すべての子どもがおなかを空かせずに学べるように」——給食のスタートは、栄養の面だけでなく、教育の機会を守るための取り組みでもあったのです。

明治の子どもの一日を、今と比べると

江戸時代(寺子屋) 明治時代(小学校) 現代
学び方 一人ひとり別々の課題 クラス全員で同じ授業 クラス+個別学習
費用 家の事情に応じた月謝 当初は有料 → のちに無償 公立は授業料無償
持ち物 すずり・筆・手本 石板、のちにノート・ランドセル 教科書・タブレット
昼食 各自持参 給食が始まる(一部) 給食が一般的
学校以外の時間 遊び・家の手伝い 遊び・家の手伝い・工場労働も 遊び・習い事・宿題

働く子どもたちもいた

一方で、明治時代は日本が急速に工業化した時代でもありました。製糸工場や紡績工場では、10代の少女たちが「女工(じょこう)」として働いていました。地方から出てきて寮に住み込み、長時間労働をする厳しい環境も多かったと記録されています。

学校に通える子と、働かなければならない子。「子どもは学ぶもの」という考えが社会に広がるまでには、長い時間がかかりました。今、子どもが学校に通えることは、決して当たり前ではなく、多くの人の努力で実現してきたものだといえます。

明治の子どもの遊び

勉強や仕事の合間、子どもたちは外で元気に遊んでいました。江戸時代から続く遊びに、新しいものも加わります。

  • 江戸から続く遊び:こま回し、竹馬、おはじき、お手玉、かくれんぼ
  • 明治に広まった遊び:めんこ、ビー玉(ガラスの製造技術が入ってきたため)
  • 新しく入ってきたもの:西洋から伝わった運動会や体操

実は運動会も明治時代に始まった行事です。西洋の学校を参考に取り入れられ、やがて地域全体のお祭りのような行事へと広がっていきました。

よくある質問(FAQ)

Q. 明治時代の小学校は何年間でしたか?
A. 制度が何度も変わりましたが、明治の後半には尋常小学校の6年間が義務教育として定着していきました。

Q. 教科書はありましたか?
A. ありました。当初は各学校が選んでいましたが、明治の後半には国が定めた国定教科書が使われるようになりました。

Q. 昔の子どもはノートを使っていましたか?
A. 明治の初めは、紙が貴重だったため石板(せきばん)という黒い板に石筆で書き、消して繰り返し使っていました。紙のノートが一般的になるのは、もう少し後のことです。

まとめ:今の「あたりまえ」は、明治から始まった

教室で同じ授業を受けること、ランドセルを背負うこと、給食を食べること、運動会をすること——今の学校生活の多くは、明治時代に形づくられました。

そして、すべての子どもが学校に通えるようになるまでには、長い時間と多くの人の努力がありました。

お子さんと一緒に「今の学校と、どこが同じでどこが違う?」を探してみると、毎日の登校が少し違って見えるかもしれません。

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