「昔の人はどう暮らしてた?」シリーズ、今回は平安時代です。
十二単、貴族、源氏物語——名前は知っていても、「じゃあ子どもは何をして遊んでいたの?」と聞かれると、意外と答えられません。
実はこの時代の子どもたちは、今の七五三のルーツになった行事を経験し、今もある遊びで遊び、そして12歳前後で「大人」になっていました。
小学校を卒業する年齢で、もう大人扱いです。
今から約1200年前、平安時代の子どもの1日をのぞいてみましょう。
平安時代とは?ざっくり400年間
平安時代とは、794年に都が京都(平安京)に移ってから、1185年ごろに武士の時代が始まるまでの、約400年間のことです。
400年というのは、江戸時代がまるごと入ってしまう長さです。
「鳴くよウグイス平安京(794年)」で覚えた方も多いかもしれません。
この時代の主役は貴族。武士はまだ主役ではなく、都に住む一部の貴族が政治も文化も動かしていました。
『源氏物語』の紫式部、『枕草子』の清少納言が活躍したのもこの時代です。
ただし注意したいのは、きらびやかな貴族の暮らしは、当時のほんの一握りの人たちの話だということ。
人口の大部分は農民で、暮らしぶりはまったく違いました。この記事では両方を見ていきます。
貴族の子どもの1日
朝は日の出とともに。ごはんは1日2回
電気がないので、生活は太陽まかせです。
日が昇ると起き、暗くなれば寝る。食事は1日2回が基本で、朝と昼過ぎに食べていました。
1日3食が広まるのは、ずっとあとの江戸時代です。
おかずは干した魚や野菜、木の実など。お肉を食べる習慣はほとんどありませんでした(仏教の影響で、動物の肉を食べることが避けられていたためです)。
甘いものは貴重で、あまづら(つる草から採った甘い汁)をかけたかき氷が、清少納言の『枕草子』に「上品なもの」として登場します。
平安時代にかき氷、ちょっと意外ですよね。
勉強:男の子は漢字、女の子はかな
貴族の子どもは、家庭教師のような人について読み書きを習いました。
学校らしい学校(大学寮)はありましたが、通えたのはごく一部の男子だけです。
面白いのが、男女で習う文字が違ったこと。
| 主に学んだもの | |
|---|---|
| 男の子 | 漢字・漢文(中国の書物)、政治や儀式の作法 |
| 女の子 | かな文字、和歌、琴や笛などの楽器 |
当時、漢字は「男性が使う公式な文字」とされ、かなは「女性の文字」と見られていました。
ところが、そのかな文字から『源氏物語』や『枕草子』という、世界に誇る文学が生まれます。
「女性の文字」とされたものが、日本文学の出発点になった——ここは子どもと話すと盛り上がるポイントです。
遊び:今もあるものが、けっこうある
平安時代の子どもの遊びは、名前を聞くと「あ、知ってる!」となるものばかりです。
- ひいな遊び——人形遊びのこと。これが今のひな祭りのルーツのひとつとされています
- 貝合わせ——ハマグリの貝殻を左右に分けて、ぴったり合う相手を探す遊び。神経衰弱の元祖のようなもの
- 蹴鞠(けまり)——鹿の皮のボールを地面に落とさないよう蹴り続ける。勝ち負けを競うのではなく、みんなで続けるのが目的。リフティングに近い
- 双六(すごろく)——今のものとは少し違いますが、サイコロを使う盤上遊びが大流行。夢中になりすぎて、たびたび禁止令が出たほど
- 小弓(こゆみ)——小さな弓で的を射る遊び
ゲームに夢中になりすぎて大人に叱られる——1000年前も同じだったわけです。
12歳で大人になる「元服」
平安時代でいちばん驚くのが、大人になるのが早いことです。
| 行事 | 年齢の目安 | 内容 |
|---|---|---|
| 髪置(かみおき) | 3歳ごろ | それまで剃っていた髪を伸ばし始める |
| 袴着(はかまぎ) | 3〜7歳ごろ | 初めて袴(はかま)をはく |
| 元服(げんぷく) | 男子12〜16歳ごろ | 髪を結い、冠をかぶり、大人の名前をもらう |
| 裳着(もぎ) | 女子12〜14歳ごろ | 裳という衣装を着け、大人の女性と認められる |
元服・裳着をすませると、もう子どもではありません。
小学6年生から中学生くらいの年齢で、結婚することもありました。
そしてお気づきでしょうか。髪置・袴着・帯解——これが、今の七五三のもとになった行事です。
11月に神社で写真を撮るあの行事は、1000年前の貴族の儀式から続いているのです。
では、庶民の子どもは?
ここまでは貴族の話。人口の大多数を占めた農民の子どもは、まったく違う毎日を送っていました。
- 学校には行きません。読み書きを習う機会はほとんどありませんでした(庶民が広く学べるようになるのは、江戸時代の寺子屋から)
- 歩けるようになると、水くみ、まきひろい、鳥追い、下の子の子守りなど、小さいうちから家の働き手
- 住まいは、掘っ立て柱の簡素な家。
- 畳もふとんもなく、むしろを敷いて寝ていました
- 飢饉や疫病が起きれば、いちばん先に命を落とすのは子どもでした
そもそも当時は、生まれた子どもが7歳まで育つこと自体が当たり前ではありませんでした。
「七つまでは神のうち」——7歳までの子どもはまだ神様に半分あずけている存在だ、という言い方が後の世まで残ったのは、そういう時代が長く続いたからです。
七五三でお祝いをするのは、「無事にここまで育ってくれた」ことを喜ぶ行事だった、というわけです。
平安時代の「へえ!」トリビア3つ
- 猫はセレブなペットだった——中国から来た「唐猫(からねこ)」は貴族の大切なペット。ある天皇は飼い猫に位を与え、乳母までつけたと記録されています
- お風呂にはめったに入らない——毎日入浴する習慣はなく、貴族は香を焚いて衣服に香りをしみこませていました。「いい香りの人=おしゃれな人」だったのです
- 手紙は和歌で送る——用件だけ書くのは無粋。歌のうまさ、字のきれいさ、紙の色、添える花まで含めて「センス」が見られました。当時のメッセージアプリは、なかなかハードルが高かったのです
よくある質問
Q. 平安時代の子どもは、何歳から働いたの?
庶民の子どもは、はっきりした「開始年齢」があったわけではなく、できることが増えるにつれて自然に手伝いが増えていく形でした。5〜6歳で子守りや軽い作業を任されることは珍しくありません。
Q. 学校がなかったのに、どうやって仕事を覚えたの?
親や周りの大人を見て、まねをして覚えました。文字より先に、田畑の仕事や道具の使い方を体で覚えたのです。
庶民が文字を学び始めるのは江戸時代の寺子屋から、全国の子どもが学校に通うようになるのは明治時代からになります。
Q. 自由研究のテーマにできますか?
できます。「時代ごとの子どもの1日をくらべる」は、資料も集めやすく、表にまとめると見ばえがします。1日で終わる自由研究ネタ12選もあわせてどうぞ。
まとめ:1200年前の子どもも、遊びに夢中だった
- 平安時代は794年〜1185年ごろの約400年間。主役は都の貴族
- 貴族の子は男子=漢字、女子=かなを学び、そのかなから『源氏物語』が生まれた
- 遊びはひいな遊び・貝合わせ・蹴鞠・双六。夢中になりすぎて禁止令が出たことも
- 12歳前後の元服・裳着で大人。髪置・袴着は今の七五三のルーツ
- 庶民の子は学校に通えず、小さいうちから働き手だった
1200年前、ボール遊びに夢中になって叱られていた子がいて、人形で遊んでいた子がいて、その子たちが無事に育つことを願う行事が、今の七五三として残っている——そう考えると、11月の写真撮影が少し違って見えてきます。
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